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最後の場所を決める人は?

2014年厚労省にてACP(Advance Care Planning)という言葉が提唱されました。人生会議という言葉でも代替され、人生の最期をどこで過ごすか?ということを事前に話合いましょう、という取り組みです。この取り組みの中で、人生の最期を家でという希望が6割以上という結果だったそうです。私の感想は、そんなに多いのか!ではなく、そんなに少ないかな?という印象です。最期を病院というのは、恐らく周りの家族などへの配慮などでは、と思っています。ACPは誰と行うべきかとい問に「本人に決まっている!」と思われるかと思いますが下記論文の研究では在宅死を可能にした最大の要因は家族の在宅死容認という結果でした。一方で病名告知、経済的困窮などは関係ありませんでした。

人間は単独で生きているわけでなく、家庭内の関わる人達との対話のプロセス抜きしては、患者さんの本来の意思決定も困難です。自身の経験でも、40代前半で直腸がん罹患し手術しましたが脊髄への転移により急速進行性の四肢麻痺、呼吸状態の増悪患者さんが搬送され緊急で脊髄の除圧手術行いましたが残念ながら呼吸器を外せない状況となってしまいました。この時患者さんは帰りたいけど、家族の負担考えると難しいかな と言っていた言葉が忘れられません。その時の私は急性期治療の1丁目1番地に居たので「自宅へ戻って大変そうなら帰ってくればいいですよ」とい言うのが精一杯でした。しかし、この時の一先ず自宅へ帰るというは今でも正しい選択だったと考えています。無理せず帰ってみる。大変そうなら、また他の選択を考える。人生の一番最後くらい、少しの我ままは許されると思っています。

Japanese journal of primary care 28(4), 251-260, 2005-12-15

写真は逗子在住山内明徳様撮影

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