人生の最期を決める時の重要なこと~食べることについて②
- 賢一 内田
- 3月14日
- 読了時間: 2分
正岡子規と「食」の俳句
日本の俳句の中興の祖とされる正岡子規は、食べることに対して非常に貪欲だったといわれています。「柿食えば 鐘が鳴るなり 法隆寺」という有名な句も、食べ物に関する作品の一例です。
一方で、西行や松尾芭蕉の俳句は、自然と心象風景を融合させることを重視していました。そのため、彼らの作品には食べ物が登場することはほとんどありません。しかし、子規の句には日常の食が描かれることが多く、それが彼の俳句の魅力の一つでもあります。
最期を迎える前に考えたいこと
人生の最終段階において、「食べること」とどのように向き合うべきかを考えることは重要です。特に、亡くなる前に食べられなくなったとき、自分がどうしたいかを具体的にイメージすることは、人生の最期をよりよく迎えるためのヒントになります。
この問いは、疾患の種類や個人の状況に関係なく、誰もが共通して考えるべき普遍的なテーマです。
最後まで食べたいか?
人生の終末期には、身体が水分や栄養を適切に処理できなくなります。これは代謝機能の低下によるもので、人工的な栄養補給も含めて、最低限の水分補給に留めたほうが患者さんにとって楽な場合が多いのです。過剰な栄養補給は、浮腫や唾液・痰の増加につながり、かえって苦しみを伴うことがあります。
興味深いことに、人工栄養を一時的に中断することで、再び口から食べられるようになるケースも少なくありません。最期まで食を楽しみたいという思いがあるならば、無理のない範囲で口から食べる選択肢を検討することも大切です。
最期の迎え方:楽に逝くか、できる限り命をつなぐか?
「苦痛を取り除きながら、ろうそくの火が徐々に消えるように穏やかに最期を迎える」のか、それとも「少しでも長く命をつなぐために可能な限りの医療を受ける」のか。
この選択は、本人の意思や家族の考え方によって異なります。
自宅で穏やかな最期を迎えたい場合は、在宅医療が適しています。一方で、「できる限り命を延ばしたい」と考える場合は、病院での積極的な治療を選ぶことになるでしょう。
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