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人生の最期を決める時の重要なこと~食べることについて

日本の俳句における中興の祖である、正岡子規は食べることに貪欲だったそうです。「柿食えば 鐘がなるなり 法隆寺」という句も食べものに関する句ですし。西行や芭蕉が自然と心象風景を融合させようとしましたが、食べ物が句に出てくることは無いですし。

亡くなるとき、食べれなくなる時どうしたいか

亡くなる前に食べれなくなります。こうした質問は自分の最期を具体的にイメージする一つの質問として有用と考えます。そして、これは疾患や患者個々で変わらない普遍的質問と考えます。


最後まで食べたいか

人生の最終段階では水分や栄養を身体が処理できなくなります。代謝自体が落ちいくことが理由です。人工的な栄養も同様で最小限の水分のみにする方が患者さんは楽になります。浮腫や唾液喀痰吸引が減ることが、その理由です。人工栄養をなくすと、また口から食べれることも、よくあることです。

・亡くなるまで、楽な方がよいか。多少しんどくてもできる限り命をつなぎたいか

苦痛を除き、だんだんと火が消えるように最期を迎える。これは在宅医療で可能です。一方、命を少しでもという場合は病院での治療が優先されるべきです。


写真は逗子在住山内明徳様撮影

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